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廣誠院の南に高瀬川越しに見えるのは、佐久間象山と大村益次郎の遭難之地碑、幕末このあたりで暗殺されました。「佐久間象山・大村益次郎遭難地」という小さな石碑は、もう少し下った三条木屋町三条小橋の角にもありますが、そちらはこちらのお知らせ版です。 この碑の向かいあたりに木戸考充(桂小五郎)の寓居跡(現料亭「幾松」)があります。長州藩屋敷のすぐ向かいだったんだ。 少し下って、御池通りの南側、木屋町御池の角に「加賀藩屋敷跡」碑があります。御池大橋は昔はなくて、御池通り一帯が加賀藩邸、その南側に「二之舟入」、その南に対馬藩邸がありました。 三条通りを越えてすぐの東側に瑞泉寺があります。秀吉の甥で自害させられ、その家族39人も三条河原で処刑されたという豊臣秀次のお墓があるお寺です。あまりにむごくて、いまだに中に入ってお参りできていません。 その向かい、木屋町通りから河原町通りに通じる道は今では「龍馬通り」と呼ばれているらしいです。道の北側に坂本龍馬が隠れ住んでいた材木商「酢屋」が今も木材関係のお店を出しているからです。 2階は龍馬関係の資料を展示している「ギャラリー龍馬」になっています。家の外観は昔の様子を留めていますが、館内は現代風。南側が龍馬のいた部屋、北は海援隊本部の部屋だったそうです。2階南向きの窓から、昔はその前に四之舟入が開けて見えたそうで、窓から龍馬がピストルの試し撃ちをしたとかいうことです。 見学料300円払うと、下の店員さんが上がってきてくれて説明もしてくれます。龍馬が暗殺された後、詮索を恐れて関係する物を焼いてしまったそうで、龍馬の寓居だったことも長く秘密にしていて、こうして公表できるようになったのは戦後のことだそうです。 毎年11月15日の龍馬の命日前後には、「龍馬からの手紙」募集や追悼展(今年は11月12~27日)も開いているそうです。
by vivasan1
| 2005-06-01 07:40
| ぶらり都めぐり
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