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五山送り火を見た後、毎年8月15日と16日の夜に、松ヶ崎湧泉寺の前庭で行われる題目踊りを見に行きました。 15日は午後8時から、16日は送り火が終わった9時から約1時間行われます。 ビバさんの「松ヶ崎風土記」にも書いたように、この踊りの起源は、鎌倉時代末期に松ヶ崎村が一村全員日蓮宗に改宗した時に、僧実眼が喜びのあまり、踊りあがって太鼓を打ち、「南無妙法蓮華経」と唱えながら踊り、村人もその後について踊ったのが始まりと言われています。 踊りあがったというけれど、踊りは最初から最後まで「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えながら、ゆっくりしたテンポで、交互に前に踏み出す足の上で扇子を表・裏と翻すだけの踊りなので、歓喜の踊りというより、内に秘めた信心の踊りと言えます。 女の人の踊りは両手で扇子を持つので、常にうつむきながらの踊りですが、男の人の踊りは片手を腰に置くだけ、上半身が立っています。 題目踊りが終わって休憩の後、さし踊りが踊られます。これは洛北一帯に踊られている盆踊りの一種ですが、松ヶ崎のさし踊りはいさぎがよく、特に女の人の踊り方が優れているそうです。見ていてもとても難しそうです。女の人の衣装はおそろいの浴衣に赤い細帯、その上から三幅の前垂れをつけ、たすきも赤くてきれいです。昔は紺地の着物に思い思いの色の細帯で、髪はつぶし島田に手ぬぐいを被っていたそうです。 2年前に見た時より、踊り手の数も増えて、特に子供がたくさん踊るようになっていました。 小学校の運動会でもさし踊りが踊られたりするからでしょうか。 [おまけ] 江戸時代の初め、後水尾上皇、東福門院もここに来られて題目踊りを見られたということで、上皇の席の側にあった松の木を「御幸の松」と呼んでいたそうですが、昭和47年に枯れてしまいました。 [もう一つ、おまけ] 妙法の送り火や題目踊りなど、松ヶ崎の伝統行事の世話をしているのは、「松ヶ崎立正会」といって、代々松ヶ崎に住んでこられたお家の方達が中心になっています。
by vivasan1
| 2005-08-20 04:41
| 松ヶ崎村風土記
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